訃報

 

大阪マンデーベースボールリーグ・パルプンテいずみ所属の石塚恒行(こうき)内野手が2012年6月27日未明に交通事故のため亡くなられました、29歳という若さでした。

翌28日、ご遺族により最期の別れを告げる場を設けていただき、本当にたくさんの友人たちが弔問に訪れました。
誰からも愛された彼の人柄や友人を大切にする彼の心をあらためて感じることができました。

さらに翌日の6月29日午前10時から、彼が通った大阪市内の教会にて告別式が行われ、やすらかに天国へ旅立たれました。

事故の2日前(6/25)にパルプンテいずみは石塚選手の活躍もあり4年ぶり2度目の予選リーグ優勝を飾りました。その日グランドに立った彼は、いつもどおりの笑顔とガッツで試合に臨みチームの勝利に貢献されました。

 

石塚恒行選手は2005年のシーズン開幕からタイヨーフレンズに所属し、俊足の1番打者として活躍しました。

※2005年
1年目のシーズンにいきなり規定打席に到達し3割超えの打率をマーク、また彼の持ち味である俊足は10個の盗塁を記録しチームを3位決定戦出場に導きました。3位決定戦では2番ショートでフル出場し、後に所属することになるパルプンテいずみを相手に勝利しました。

 

※2006年
タイヨーフレンズの主力として押しも押されぬ存在となった2年目はトップバッターとしてチーム最多の73打席を記録(57打数もチーム1位)、盗塁も28個記録し名実ともにリーグでも指折りのトップバッターとなった。この年もチームは彼の活躍で3位決定戦に出場、1番ショートでフル出場した石塚選手はヒットこそでなかったものの2個の四球を選び盗塁も決め先制のホームを踏みました。チームも5−0で勝利し2年連続3位に大きく貢献しました。

 

※2007年
この年もチーム最多の盗塁(19個)を決めるなど大活躍でした。3年連続規定打席に到達するなどその実力を如何なく発揮され、チームは5位決定戦に出場し、石塚選手は9番レフトでフル出場、3回表の第一打席でレフト前ヒットを打ち二盗に成功、その後先制のホームを踏みました。2−1でRed'sを降し見事にチームを年度5位に導きました。

 

※2008年
仕事の都合でチームへの参加がままならなくなったこの年、チームに加入以来始めて規定打席を割りました。チームも結成以来最低の11位という成績となり、あらためて彼の偉大さを思い知らされた1年となりました。

 

※2009年
この年思うようにベンチ入りできず前年同様規定打席には到達しませんでした。ただ、打率は3割3分を超え彼の非凡な才能を垣間見たものでした。チームは前年と同じく11位でシーズンを終えました。

 

※2010年
この年の春も終わろうかという頃に仕事の都合で神戸に引っ越すとのこと、5年と数ヶ月のタイヨーフレンズでのプレーにピリオドを打ちました。

最後になったタイヨーでの成績は
「3/5NJB戦」1打数1安打 「3/15CROWS戦」1打数1安打 「4/5パラダイス戦」2打数1安打 
この年の成績は少ないながらも合計4打数3安打という素晴らしいものでした。

この後神戸に渡り、当リーグと交流のあるスパイリーリーグのエンブレムというチームに籍を置きました。

 

※2011年
この年の2月、大阪に仕事の拠点を移すことになったとのこと、神戸を離れ再び当リーグに活躍の場を求めた。

心機一転の意味合いも込めて古巣のタイヨーフレンズではなくパルプンテいずみでの選手登録。
リーグ戦開幕まもなくからレギュラーで出場し規定打席の52打席を記録。チームは5位決定戦に出場、敗れはしたが堂々の6位となった。

 

※2012年
新しく仕事をし、なにかと忙しい中にも唯一没頭できる野球にこの年もパルプンテいずみの一員として参加した。

チームは順調に勝ち星を重ね前半の予選リーグ優勝に王手をかけた。

6/25、吉原球場。
勝てば予選リーグの優勝が決まる大一番の相手は石塚選手にとっての古巣であるタイヨーフレンズ。
8番セカンドで出場。

チーム一丸で臨んだ結果は10−2の大勝。
見事に優勝を決めた。

 

この2日後、仕事帰りでの深夜の事故でした。

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2006年3月13日の対大阪バンブス戦(久宝寺球場)次打者席で集中する石塚選手(タイヨーフレンズ所属)

 

石塚恒行選手のタイヨーフレンズでの通算成績(2005年〜2010年)


2005年(タイヨーフレンズ)47打席-42打数-14安打-6打点-10盗塁 打率.333
2006年(タイヨーフレンズ)73打席-57打数-16安打-8打点-28盗塁 打率.281
2007年(タイヨーフレンズ)56打席-48打数-12安打-4打点-19盗塁 打率.250
2008年(タイヨーフレンズ)24打席-18打数-5安打-1打点-4盗塁 打率.278
2009年(タイヨーフレンズ)22打席-18打数-6安打-2打点-2盗塁 打率.333

2010年(タイヨーフレンズ)5打席-4打数-3安打-1打点-0盗塁 打率.750

合計(6年間)・227打席-187打数-56安打-22打点-63盗塁 打率.299 出塁率.423

 

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2007年1月29日の対Respect Osakaオープン戦(金岡球場)での石塚選手の打席(タイヨーフレンズ所属)

 

石塚恒行選手のパルプンテいずみでの通算成績(2011年〜2012年)


2011年(パルプンテいずみ)52打席-43打数-8安打-7打点-7盗塁 打率.186
2012年(パルプンテいずみ)14打席-11打数-1安打-0打点-0盗塁 打率.091

タイヨーフレンズ所属時との合計(8年間)
293打席-241打数-65安打-29打点-70盗塁
 打率.270 出塁率.399

 

※2010年は途中から神戸スパイリーリーグ所属(エンブレム)
打撃成績・・・20打席18打数3安打1打点3盗塁(上記記録には含んでいません)

 

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2011年4月4日の対ファルコン戦(金岡球場)三遊間での華麗な守備(パルプンテいずみ所属)

2012年7月9日午前9時5分

2週間前の6/25に彼が最後にプレーをした吉原球場での大阪マンデーベースボールリーグ開催。

彼が6年間プレーしたタイヨーフレンズと彼をよく知るビッグシャークの選手が

最後に彼が立ったセカンドの守備位置でありし日の彼を囲むようにして黙祷を捧げ

試合では喪章をつけ彼のあまりにも早すぎる死を心から悼んだ。

 

2012.7.9作成

 

追記
2016年12月30日 大阪市東住吉区長居公園1−32にある臨南寺にて石塚家のお墓の奉献式が大勢の人に囲まれて行われました。
これまで天橋立で有名な京都府宮津市にお墓がありましたが、彼が懐かしい友人といつでも逢えるようにというご家族の思いもあり、恒行くんの故郷であるここ長居にお墓を移されました。
奉献式当日の12月30日は彼の34回目の誕生日でした。
デザインが統一された七つのお墓がきれいに並ぶ”七基墓”という一群のなかに彼のお墓はあります
墓前には彼の大好きだった野球のボールのレプリカがあります。傍らには誰が置いたかカエルの置物も(生前カエルに似ていると言われていたそうです) 墓石には彼が好きだったふくろうのイラストも描かれています。

2017年6月で事故から5年になりますが実家の彼の遺影の前には様々なお供え物が欠かされません。

2017年1月25日更新